なずな日記
2020.08.18
出会うは別れの始まり、始めれば、終わりが必ずあります。
突然ですが、なずな日記は最終回です。
うちのブログを書いてみませんか?
そういうお話をさくら葬祭の近藤社長から頂いたのは、2017年12月のことでした。
葬儀社は、当然のことながら、人の悲しみに向き合うことが多いものです。そこで、グリーフケアとして、何かできることはないかと考えたそうです。グリーフケアとは、遺族の気持ちを理解し、寄り添って、心の回復のお手伝いをすることを言います。
しかし、大切な人を失った心を癒やすと言うのは、なかなか難しいことで、誰にでもできるというものではないと、感じていらっしゃるようでした。
私は以前から、私的にブログを書いていました。主人の葬儀のことも、そのブログに書きました。悲しみのうちにも、大変いい葬儀だったと思いましたので、お礼状代わりに近藤社長にも、このブログを見ていただきました。それが、なずな日記を書くきっかけとなったのです。
さくら葬祭様は主人が、親の葬儀のために選んだ葬儀社でした。
インターネットで何軒か葬儀社をピックアップし、その中から選んだようです。
安いだけの葬儀社なら、他にいくらでもありました。しかし、その中でさくら葬祭様を選んだのは、葬儀に対するコンセプトに共感したのが、理由であるということは、なずな日記にも書かせていただきました。
初めは私の父、その次は主人の父と、ここまでは順番通りでした。次は私の母か、主人の母の葬儀だと思っていたのに、なんと次は主人がさくら葬祭様のお世話になることになってしまったのです。
主人が生死の間を彷徨っていると、連絡を受けた時は、死ぬなど思っていませんでした。きっと生きて帰る。そう信じていました。しかし、現実は残酷なものでした。
享年58歳。あまりにも早い別れです。
病院で死亡を確認した後の、さくら葬祭様への連絡から葬儀までの、悲しむ間もなくあわただしく過ぎて行った日々。慣れない役所や銀行の手続き、そして税務関係の手続き。
何もすることがない時には、主人との過ぎた日々が思い出されて、仕方ありませんでした。
そんな悲しみの日々にも、主人に守られていると感じることもありました。
不幸な時に人の良し悪しが判ると言います。いい人だと思っていたのに、主人亡き後、心が凍る思いをさせられた人達もいました。今まではこの人達と、街中でばったり会うことがよくあったのに、いつの間にか、まったく会わなくなりました。ご子息に死に別れた友達も、同じようなことを経験していると言います。
「不思議だね。守ってくれているよね」
私の父や主人の父が亡くなったときも、探し物をしているときに、
「どこにあるの?」
と聞くと、探し物がすぐに出てきました。
「このタイミングで出て来るなんて、絶対にここにいるんだよ」
こんなことは、皆様にも経験があるのではないでしょうか。
何か迷った時も、主人がいい方向に誘導してくれているように感じます。
死んだらそれで終わりと言いますが、人知の及ばぬところで何かがあるのではないか?
家族を亡くしてから、そう思うようになりました。
「一家の大黒柱が亡くなったら、こういう輩が近づいて来るから注意!」
「こういう場合は、こうしましょう」
などの実用的なことも書きましたし、日常のつれづれを書いたこともあります。
「なずな日記」を始めた頃は、主人が亡くなったときのことを思い出して、泣きながら書いたことが、何回もありました。
しかし、今になって思います。なずな日記は、読者のグリーフケアのために書いているつもりでしたが、実は自分のグリーフケアになっていた、と。
当時を思い出して泣いたり、日々の思いを吐露したりすること、これ自体が私にとってグリーフケアになっていたと思うのです。
近藤社長から、お話があったときは、半年くらいと言われました。しかし、こんなにも長く続けさせてくださったこと、感謝の念に堪えません。
皆様にも、駄文にお付き合いくださいまして、大変ありがたく思っております。少しでもお役に立ったものがありましたら、望外の喜びです。
末筆ながら、皆様の悲しみが、早く癒されますことをお祈り申し上げます。
さようなら。
葬儀についての資料を
ご送付いたします。