なずな日記

2017.12.24

葬儀外伝

葬儀外伝

おいちゃんが大変なことになったと連絡を受けた私は、取り急ぎタクシーを飛ばして搬送先の病院へ向かいました。

一緒に行ったSさんも病院の医師も、大変そうなことを言っていたけれど、こんなに早く死に別れなんて、私の人生にあるはずがない。きっと生きて帰ると信じていました。

朝になったら、おいちゃんはベッドで頭を掻いているはず…

 

しかし、現実は残酷なものでした。おいちゃんは私が着いた時には、もうすでに亡くなっていました。

病院の霊安室には警官がいました。おいちゃんの死について、死因や事件性はないか調べる必要があると言います。警官はおいちゃんの持っていた巾着や携帯電話を目の前にならべました。巾着の中に入っている所持品やお金、携帯の履歴を調べています。

 

「携帯の履歴を拝見しますよ。ん?イネ子、だって。誰だろ?」

 

「お姉さんです」

 

「うを和歌だって。居酒屋かな?」

 

「顧問先です」

 

これが知らない女性の連絡先だったら、この期に及んでひと悶着あったかも知れません。

 

 

警官は葬儀社の手配をするように言いました。

 

「もし心当たりがなければ、こちらで紹介しますから」

 

私はおいちゃん父と、なずな父がお世話になったさくら葬祭を思い出しました。ここはおいちゃんが見つけた葬儀社です。おいちゃんが使わなくてなんとする。

 

「さくら葬祭をお願いします」

 

「こっちの葬儀社の方が慣れていると思うんだけど」

 

「いえ、さくら葬祭をお願いします」

 

「こっちの方が近いし」

 

警官はなぜか自分の紹介先をしつこく勧めましたが、それでもさくら葬祭の電話番号をスマホで調べてくれて、連絡を取ることができました。

私がさくら葬祭を主張し通したのは、思い込むとそれしか見えなくなるからです。しっかりしていた訳ではありません。

 

 

さくら葬祭の迎えが来て、おいちゃんを送り出すと私はパトカーで駅まで送ってもらいました。家に着くと同時においちゃんの上のお姉さん、イネ子姉さんに連絡をしました。

 

「おいちゃんが、耕作が亡くなりました」

 

耕作はおいちゃんの名前です。

 

 

「何を言っているの、なずなさん。どういうことなの?」

 

明るい声でした。簡単な日本語だけど、心の上で理解ができない。何で?あんなに元気だったのに、と。

 

 

一日経って、おいちゃんが帰ってきました。エレベーターに入るのかと思いましたが、さくら葬祭の担当者は、マンションのエレベーターには、普段は開かない奥行きスペースがあると言います。管理者に言って開けてもらいましたが、管理者も初めて知ったようです。

エレベーター前のスペースが狭くて、担当者の男性はおいちゃんの搬送にかなり苦労していました。

 

布団に寝ているおいちゃんは、眠っているように見えました。

 

「何をやっているのよ、もう!」

 

私の連絡で来てくれたイネ子姉さんとフナ子姉さんは、おいちゃんの枕元で泣いて怒りました。

 

その場で葬儀の打ち合わせをすることになりました。担当者は和田さんと言う若い男性です。ラストメイクの女性も一緒です。

和田さんは、背が高くて痩せています。その落ち着きあるイケメンぶりは葬儀社にぴったりと思われましたが、2年後に大いなる変貌を見せるとは、このときは思いもしませんでした。

おいちゃんの家はカトリックですが、本人は信心していないので知っている神父さんもいません。音楽が好きだったので音楽葬にすることにしました。

 

 

この場でお姉さん達を交えて、和田さんと葬儀プランや、通夜ぶるまい、遺影のことを打ち合せしたのは憶えています。しかし、音楽やお花の相談をしたのはどこだったか、覚えていないのです。たぶん、ここでしたと思いますが、やはり頭の中が相当混乱していたのでしょう。ただ、葬儀社社長兼司会者の近藤さんと打ち合わせをしたということは確かに覚えています。

近藤さんが尋ねます。

 

「ご主人にふさわしい音楽を決めましょう。ご主人は何がお好きだったんでしょうか?」

 

「…温泉と酒です」

 

「…」

 

 

みんなの頭の中に「いい湯だな」と、「黒田節」が浮かんだことでしょう。

複雑な表情で演奏する奏者、必死で真面目な顔をする司会者、そして顔を見合わせる参列者…

 

近藤さんは気を取り直して、なおも続けました。

 

「それでは好きな花は?男性だから好きな花といっても思い浮かばないかもしれません。だとしたら、好きな色は何色でしょうか」

 

 

オレンジ色や黄色が好きだったっけ。なので、それらの色が好きだったことを伝えました。

音楽はおいちゃんの好きな長谷川きよしの「別れのサンバ」を、入れてもらうことにしました。

 

 

葬儀までの二日間、担当の和田さんとメイク係の女性は毎日来てくれて、それぞれドライアイスを入れ替えたり、ラストメイクの化粧直しをしてくれました。

 

 

私はおいちゃんに寄り添い、チューもしました。でも、これはあまりよくないことのようです。ご遺体と言うのは日が経つにつれて細菌に侵されるもので、重篤な感染症を起こすこともあると聞きました。でも、おいちゃんにうつされるなら本望です。

 

 

葬儀、告別式は滞りなく進みました。

しかしその後が進まなくなりました。無宗教の納骨に待ったがかかったのです。おいちゃんのいとこのミカエル(洗礼名)が言います。

 

「お兄ちゃんの納骨には神父様のミサがなくては!!」

 

「え~と、そんなにこだわらなくても…」

 

「まさか、ミサは嫌だなんて言うんじゃないよね?!」

 

「いえ、そのようなことは決して…」

 

「僕が神父様を探すから!!」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

日本国内に牧師様はたくさんいらっしゃいますが、神父様は大変少ないのです。神父様は妻帯せず、生涯を神に捧げなくてはならないからでしょう。

 

 

そのうちミカエルのお父上が儚くなってしまい、ミカエルは神父様探しどころではなくなり、納骨はさらに延期になりました。

やっと納骨が決まったのは、おいちゃんが亡くなってから3カ月が過ぎた頃です。しかも、ミカエル父と合同でミサ、納骨をすることになりました。ミカエルのお父さんは、うちの墓にも分骨することにしたのです。

合同での納骨にちょっと複雑な思いはありましたが、人知の及ばない結論には故人の思いがあるのだろう。そう思うことにしました。

 

 

納骨の日が決まると、私はおいちゃんの骨壺から、小さな骨片をそっと取り出すと、ティッシュにくるんで「宝物袋」に収めました。

 

 

納骨の日、ミサのあと、おいちゃんの遺骨は墓に収められました。順番で行くと先に亡くなったお父さんの次においちゃんの名前が来るのですが、おいちゃんのお母さんはまだ生きているので、そうすると夫婦が分断されてしまいます。なので、お父さんの次にお母さんの名前を入れるように、一人分の間をあけました。お母さんはいわゆる「二度わらし」で、何もわからない状態です。息子が亡くなったことがわからないのは、不幸中の幸いと言えます。

 

 

おいちゃんの骨壺には名前を書いておきました。私がいつの日か、ここに入るときに間違いなく隣に来られるように。

 

 

おいちゃん、私が行くまで待っていて。そのときが来るまで、私を守ってください。

 

Books

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